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柳生の里 芳徳禅寺

12 /06 2015

一刀石の参道を戻り、芳徳禅寺へ。

剣道場の横をの登っていきます。剣道場からは子供たちの練習の声が聞こえてました。

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柳生の里が見渡せる、小高い丘の上に建つ柳生家の菩提寺です。

「石舟斎塁城址」の碑が建っており、元は柳生氏の城があったようです。

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土塁らしきものが見られます。

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山門。

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境内。ここでも剣道場の練習の声が聞こえてきました。

さすが、剣の里。

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本堂には資料室が併設されていました。

武具や書状などを見ることができました。写真も撮ってもOKとのことでした。

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本堂には真ん中に沢庵宗彭、右に柳生烈堂、左に柳生宗矩の木像が祀られていました。

烈堂といえば、「子連れ狼」で拝一刀の宿敵。

説明文には烈堂和尚とありました。僧形の木像です。芳徳禅寺の第一世住職だそうです。

そういえば、近くに一刀石があるし、ひょっとしたら、「子連れ狼」の作者はここに来て、ヒントを得たのかも。なんて想像してしまいました。

芳徳禅寺の裏に柳生家の墓所があります。

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柳生一族の墓がずらりです。著名な者には説明板もついていました。

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柳生宗矩の墓。

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他にも著名なところでは、宗矩の父宗厳、長兄の家厳、子の三厳(十兵衛)、宗冬などの墓がありました。

また師匠筋にあたる上泉信綱の供養塔もありました。

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剣の里にふさわしい、落ち着いた雰囲気の芳徳禅寺と柳生家墓所でした。

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酬恩庵 一休さんの寺

11 /22 2015

酬恩庵。

京田辺市にあります。一休寺の方がなじみがあるかもしれませんね。

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私が訪れたのは9月なので、もみじは青々としてましたが、紅葉のシーズンはすごそうです。

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石段を上ると、まず最初に目に入るのは「浴室」。前田利常建立です。

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一休さんの墓所。ここは残念ながら中をみることができません。
一休さんは後小松天皇の皇子ということで、菊の御紋なんですね。
宮内庁管理だそうです。

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「宗純王墓」というのが、仰々しい。

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塀の中はこんな感じの廟です。廟の中には卵塔があるそうです。

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廟所の並びにあるのが、一休さんが過ごしたとされる「虎丘庵」。
元々東山にあったものを、応仁の乱の戦火を避けるため、この地に移ったそうです。

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作庭は村田珠光。

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本堂。「悪御所」と言われた六代将軍足利義教の建立。

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この酬恩庵には意外な人物の墓もあります。

六角承禎のものです。
信長に敗れてから、近江を出て、この地で病没したとのことです。

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看板の左隣りの墓がそのようです。

三名の名前が刻まれているようで、真ん中の人物が「○○○左京大夫○○○」とかすかに読めるような気がしますが、摩耗してほとんどわかりません。

応仁の乱の戦火を避け、京都の遥か南に避難した皇子、一休さんと、時の実力者、信長に敗れた近江守護六角承禎。どちらも俗世的な感じがします。

異国情緒の萬福寺

10 /25 2015

森長可の墓が宇治の萬福寺にあるとのことで、どうしても見たくて行ってきました。

萬福寺には以前にも行ったことがあり、中国風の雰囲気が面白いと思っていましたが、その時は森家ゆかりということは知りませんでした。

徳川の家紋の幕が飾られ、江戸期に保護を受けたことを感じさせます。

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この天王殿の奥に、金色の大黒様が祀られています。

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かなりオープンな雰囲気です。このような雰囲気の寺社はあまりみたことがありません。

異国情緒も感じます。

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で、今回改めて訪問したのですが、墓地がわからない。

たしかに前回訪れた時も、墓地を見た記憶がありませんでした。

そして周囲をうろうろして、ご近所の人に伺って、ようやく場所がわかりました。

境内の外、北側に墓地があったんですね。

行ってみると、立派な五輪塔がありました。
なるほど、これが森長可らの墓なんですね。

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しかし、なぜここ萬福寺に森家の墓地があるのか?
イベントに参加された知人の皆さん、次にお会いした際にでも教えてください。

晴明神社とその周辺

04 /06 2015

御所に行ってきました。

で、御所に行く前にその周辺をまわってみよう、ということで、まずは堀川通りまで足を延ばして、晴明神社へ。

陰陽師で有名な神社です。観光化されています。

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実はここが、千利休の屋敷跡ということは意外と知られていないかもしれません。

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境内にある井戸、「晴明井」と名付けられていますが、説明文では千利休ゆかりとあります。

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安倍晴明と千利休、不思議なつながりです。

この晴明神社から少し下ると、実はこんな町名。

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以前も紹介しましたが、この人の屋敷跡碑があります。

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かなりわかりにくいところにあります。

そして堀川通りを渡り、一条戻り橋を越えて、御所方面に戻ろうとしました。

そこに真新しい石碑発見。

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小松帯刀寓居がこの辺りにあったとは、知りませんでした。
確かに薩摩藩邸に近いですね。

で、この石碑、三条河原町で見たものと同じように、三方向に異なる内容が彫られています。

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平安時代から戦国、そして幕末。京の歴史を感じさせます。

続・嵐山 足利と楠木

12 /07 2014

まったく予備知識なしで行った嵐山でしたが、興味を引かれるものにいろいろ出会いました。

そのうちの一つが、「宝筐院」

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さほど大きくないお寺ですが、看板にはちょっと驚かされました。

「三脚・一脚をお持ちの人は拝観禁止」
境内では使用禁止、というのならわかりますが、持ってるだけでお断り、とは面白い。

中に入ると、三脚禁止もわかります。
見事な紅葉。

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この奥に小楠公こと、楠木正行の首塚がありました。
正成の子で、南朝を背負って奮戦し、四条畷の合戦で高師直に敗れて討死した武将です。

南北朝期はあまり詳しくないのですが、楠木一族の奮戦はひかれます。

二代将軍足利義詮が、敵ながらも正行の人柄を偲び、自分もその傍らに葬るようにと、遺したという。

そしてそれがここに残されていました。

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足利家の二つ引の家紋と、菊の御紋が並んでいます。

左が義詮、右が正行。

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二代将軍としてしか知らなかったのですが、足利義詮、なかなかの名将だったのかもしれません。

湖西堂

湖国近江(滋賀県)の湖西に住むイチ歴史ファン。戦国時代、特に織田信長に惹かれます。最近のマイブームは史蹟巡りです。京都や滋賀は史蹟の宝庫ですね。

興味のあること
主に織田信長と戦国時代。ちょっとだけ坂本龍馬と幕末維新。